磯貝 浩一郎、koichiro isogai, フリーランス、

ドイツ、アートディレクター日記

海外でフリーランスや、クリエイティブ職に興味がある人達に向けて

グラフィックデザイナーが考える、コンテンポラリーなボンサイとジャズ

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盆栽イラストレーション

こんにちは、北ドイツのハンブルグでアートディレクターをしています、コイです。今日は私の好きな盆栽とジャズ、そこから繋げるのはちょっと無理クリですが、21世紀における産業革命と、日本とドイツの進む方向性の違いまで広げて、私の私見を書き綴りたいと思います。

 

 

盆栽マイスター

私は毎年実家のある富山県に数週間帰省しています。そこで勝手に師匠と仰いでいる80代の、造園、盆栽園を営んでおられる方のお手伝いを毎年数週間、ここ5年間連続やらさせていただいています。

 

そこで盆栽の針金を外し、無駄な葉を切りながら、若い時分に盆栽でとても儲けた話や、その方の考える盆栽のあり方などを教えてもらったりして、蚊の多さには悩まされてはいますが、お金に変えられない楽しい時を過ごしております。

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盆栽園にて

盆栽は流行っていない

その盆栽マイスターは、とてもセンスの良いミニ盆栽をたくさん作っておられるのですが、どちらかというと芸術家肌の方で、販売には疎く、農協のようなところで価値に合わない安価な値段でそれらを売っておられます。

 

どのくらい盆栽が流行っていないか、という例には事欠きません笑。

 

先日、ご高齢を理由に、長年可愛がってきた盆栽を引き取って欲しい、という依頼が私の盆栽マイスター(彼自身もかなりの高齢ではありますが!)のところにきて、軽トラ2台で現場に向かいました。

 

それはもう大変な量の盆栽で、空の鉢も合わせると軽トラ2台がすぐいっぱいになりました。誰も引き取り手がいないということで我々に連絡が来たのですが、これらを引き取った私の盆栽マイスターも、「鉢はともかく、これは売りもんにはならんちゃ」とおっしゃっていました。

 

その方のセンスも関係しているのかもしれませんが、こういう(ハンパに大きい)場所を取る盆栽を欲しがる人は、今日日いないというお話を聞きながら、ふと外を見ると、荒廃した大きなビニールハウスの群れが見えて、あれは昔、富山県で一番大きかった盆栽園の後だ、という説明を受けました。

 

東京などでは若いおしゃれな女性がミニ盆栽(や苔玉?)をやっておられるのは知っていますが、一般的に盆栽は、「流行っていない」という現実を目の当たりにして、一盆栽ファンとしてとても残念に感じています。

 

流行っている、流行っていないにかかわらず、好きなことをしてればいいじゃん!という向きもありますが、流行っているというのは、たくさんの人の関心を集める、と同義語ですから、裾野が広がり、それが多様になり厚みが増すということにつながるのです。

 

ジャズの裾野の広がり

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ジャズフェス

ジャズのジャズたる所以は、インプロビゼーション、フィーリングで、その人その人によって解釈が違い、それをよしとしているところだと思います。私もジャズが好きで、たくさんのアーティストが登壇するフェスなどにも足げに通っています

 

それにつけても今日のジャズの自由さは、枠がないにも等しいくらいのはち切れ具合で、音楽性の発展と進化が裾野を大きく押し広げているように見えます。そこに収まる資格は、「ジャズから影響を受けた音楽」とでも言えばいいのでしょうか? 盆栽もそれくらい裾野が広がれば、もっと楽しい、かな?

 

盆栽と鉢植えの違い

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寄せ植え盆栽

私は盆栽の「コンポジション」の妙に強く惹かれます。そして、「フレーム」で切り取るところ。

 

「コンポジション」はデザイナーであれば誰もが意識するレイアウトの一番大事な核心、どのエレメントをどのように配置するか、ということで、寄せ植え盆栽(違う種類の植物を一つの鉢に植える盆栽表現の一つ)のそれはレイアウトに他なりません。

 

「フレームで切り取る」は写真を、ただの情景を記録するツールから、芸術表現のツールに押し上げた観念で、どこで、どう切り取るか、は人によってセンスが大きく違ってきます。盆栽の、鉢で外界から切り取られているところはまさにこれに近い感覚だと思います。

 

私にとってはここ、作為的に鉢の中をデザインすること、が鉢植え植物と盆栽の大きな違いです。しかしただ単に道端に生えている植物を見るだけでもホッコりするので、やっぱり草花が好き笑

 

現代的な盆栽

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モダンな盆栽の提案

私は伝統的な盆栽に対するリスペクトは当然持ち合わせていますが、盆栽やさんでお手伝いしている時、ミニ盆栽ばかりに目がいっている自分に気がつきました。いろいろ考えましたが、ミニ盆栽のよさは、敷居の低さにあるのではないか、それは誰にでも手が届き楽しめる民主的な芸術なのではないか、という想いに至りました。

 

そしてこれはまだ世界に広がっていません。日本の中だけ見ても、都会には盆栽女子のような今までの盆栽ファンとは異なる感覚を持った方々(ボンサイ?カワイ〜笑)もいらっしゃるようですが、もっともっと裾野が広がって、私のお師匠さんの作るセンスの良いミニ盆栽が、その価値に対して正当な価格で売れてももいいのではないか、そして世界の園芸ファンが、しれっと玄関やバルコニーにミニ盆栽を飾るようになってもいいのではないか、と思います。

 

21世紀の産業は、ソフト

ここから突然ソフトの話になりますが、盆栽もある意味日本が誇るソフトに違いないので、大きな脱線ではありません笑。

 

21世気になって、世界の先進国はハードからソフトに大きく舵を切っている中、日本は20世紀にハードで世界を圧巻した成功経験からなかなか抜けることができなくて停滞していると言われています。

 

やはり同じく敗戦から、20世紀に奇跡的な復興を遂げた工業先進国であるドイツは、その成功体験にしがみつかず、未来志向で新たな道を模索していて、21世紀にはIoT立国として発展していく方向を選び、国民がこの考え方を広く共有し、EUの中でもドイツの存在感を上げています。

 

日本は世界が欲しがるソフトの宝庫でもあり、これをもっと自覚して、次の産業を開発し先導していくべきだと思います。いや、もちろんやっているんでしょうが、次のステージに移行するには、もっと大胆な発想の転換が必要で、それには今まで積み上げてきた固定観念を破壊し、積み直す必要があります。これは口で言うほど簡単な話ではないですよね笑、それはそうでしょう。でもやるしかないのです、誰だってジリ貧は嫌ですよね?

 

まとめ

ここまで私の私見を読み進めていただいて、ありがとうございました。

 

どうしたら固定観念を破壊できるのでしょう? どうやったらその上に新しい息吹を吹き込むことができるのでしょう?

 

それには、現実的ではないぶっ飛んだ意見や行動を監視、抑制する代わりに解き放ち、発想の転換をつぶす代わりに、後押しする必要があるのではないでしょうか? 

 

ジャズがこのような広がりを見せているのは、解き放たれているからで、固定観念に囚われていたとしたら、このような発展を遂げていなかったかもしれません。

 

盆栽もそうなって欲しい、かな?