磯貝 浩一郎、koichiro isogai, フリーランス、

ドイツ、アートディレクター日記

海外でフリーランスや、クリエイティブ職に興味がある人達に向けて

ミラノで行われたデザイン国際見本市に、メーカーとして参加して考えたこと

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こんにちは、北ドイツのハンブルグでアートディレクターをしているコイです。


1. ヨーロッパの見本市に展示者として参加したいと考えている方
2. 未来の見本市のあり方に興味がある方

 

の参考になれば幸いと思い、私の経験と考えを共有します


国際見本市とは

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ヨーロッパの大きな都市には必ず見本市会場があり、どの都市も税金から捻出される多額の資金を投下して巨大な見本市会場を建設し、ビジネスの誘致や国際取引に熱心です。


確かに見本市は、各メーカーが時間と資本と努力を注いで作った商品をお披露目をする場所であり、世界中から集まったバイヤーに出逢える場所です。バイヤーにとってはそこにくれば最新のトレンドと国際的でイノベーティブな商品に出会える場所であることから、小売り業者とメーカーには最も大事な機会の一つなのは間違いがありません。


その上、人が往来することで生まれる経済効果を考えると、それは国家的規模のビジネスと言っても過言ではないでしょう。


国際見本市は時代遅れ?


しかしコロナの前からすでに、国際見本市の存在意義には議論がありました。


それは費用対効果の問題からです。メーカーにしたら数日の開催期間のために、高額な参加費と展示会場を作り上げる為の多大な投資が求められ、バイヤーにしても、地元であるならともかく、国際見本市に参加するとなると渡航が必要になり、ホテルや飲食などの滞在費、そして双方とも貴重な時間が取られてしまう現実があります。


これをお祭りとして捉えるなら、それに参加したい人たちが盛り上がればいいだけの話なのだけど、国際的に商品を売りたい会社にはマストであることのように考えられていることに、何度か国際見本市にバイヤーのお手伝いとして、そしていちメーカーとして参加した私は疑問を抱いていました。


この常時インターネットに繋がっている時代、ソーシャルネットワークが台頭し得られる情報量が圧倒的に増えた上に、それらを得る為のコストが劇的に下がったこの時代に、物理的にそれほどの費用と時間をかけることは、もはや時代遅れなのではないかと思っていました。


コロナ禍で国際見本市はどうなったか


そんな矢先にコロナが猛威を振るい、ロックダウン下の規制で世界中の見本市が中止され、既存の見本市業界はなんとか活路を見出そうと、こぞってオンライン見本市を開きましたが、実際の見本市で得られるエクスペリエンスからは程遠いものだったと言わざるを得ません。


それは発想の転換や新しいコンセプトがあるわけでもなく、既存の見本市をデジタルに置き換えただけのものに終始していたからで、そんな付け焼き刃の興行で業界は利益を取りっぱぐれていました。だって会場を用意し、複雑なオペレーションをする必要がないのだから、参加する側からしてみれば、お金を払う理由が見出せないというのが実情ではないでしょうか。


今まで通り沢山のメーカーとバイヤーに声をかけて、何日から何日まで開催しますので、商取引をしてね、と言っても、物理的な見本市のように人が集まるわけもなく、有り体に言えば盛り上がりに欠けるのです。


ワクチンの普及、そして再開


そうこうしているうちにワクチン接種が進み大きな催しが解禁され、見本市業界も一年半の空白を取り戻そうと、怒涛のように次々と開催されることになりました。


それに参加するメーカーも、長いこと公の場で商品をお披露目する機会を奪われていたし、オンライン見本市の物足りなさにイライラしていたから参加しない選択肢はないという訳です。


上記したように、見本市の存在意義に疑問を抱いていた私も、今の所これに相当するチャンスがないので、ミラノという一級国際都市でおこなわれるという魅力と、ミラノサローネというデザイン界隈ではとても有名な催しが同時期に行われるということもあり、手弁当で参加することにしました。


ライフスタイル国際見本市HOMI Milanoに参加した

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私は自分の持ち出しで参加する小さなデザインスタートアップなので、一番安いブースをさらに値切ってもう1メーター小さくしてもらい、ナシナシ(追加料金のかかる付属品を断り)で参加しました。


そこにいること、そして商品の魅力が重要なので、ブースの立派さは関係ないと私は思います。ただその商品がよく見えるような仕掛けや努力は当然必要です。


見本市はいつもそうですが、買いたい人(バイヤー)と売りたい人(メーカー)の需要と供給がマッチしているのでとても雰囲気が良く、話が早いのが特徴です。


しかもミラノデザインウィークが同時に開催されたこともあって、とても盛り上がっていました。


言葉の壁


しかしここで問題に直面しました。イタリア人は、英語がマズイのです笑


もちろんオーガナイザーや代理店(エージェンシー)、ディストリビューターは英語が堪能ですが、小売業者、特にショップオーナーの方々は殆ど英語が喋れません。それは予想していましたが、ここまでとは! 


展示会で注文を受けて顧客を増やし、その上でこの参加費と旅費に充てがう算段は脆くも崩れてしまいました。言葉が通じなければ、お金を出してもらうのは非常に困難です。


私はドイツ語と英語を話します。ネィテイブのように堪能なわけではありませんが、自分の商品を説明してコミニケーションを取ることには問題がありません。でも見込み顧客が英語はもとよりドイツ語も、ましてや日本語も喋れないとなると、イタリア語ができない私は八方塞がりです。


さぁどうする!?


営業の重要性


私はずっとデザイン畑で生きてきた人間で、それまでずっと作ったデザインを営業に丸投げしていて、ビジネスを知りませんでした。6年前に独立してフリーランスのグラフィックデザイナーで生計を立てたところまではよかったのですが、それが致命的ということに気づいたのは、 2年前に自分のデザインプロダクトをローンチしてからでした。


作ったはいいけど、売らないことには継続できないし、営業ができる人を雇う資金もありません。一から自分で学んでいくしかありません。


新しい販路の開拓


私があてがわれたブースは、値段相応の場所でした。巨大なホールの端っこで、お世辞にもよい場所とは言えませんでしたが、ここで幸運の女神が(少し笑)私に微笑んでくれました。


4日間行われたフェアの中日にプロモーション関連のセミナーが行われ、その参加者たちがたまたまその会場の横に位置していた私のブースの前を通り、商品に興味を示してくれました。私の商品は、図らずともプロモーションユースにピッタリだったのです。その上彼らは英語に堪能で、コミニケーションにも問題がなく、実際に注文を受けたわけではありませんでしたが、大口取引につながる可能性を掴むことができました。


めでたしめでたし、ではもちろんなくて、これからそれを掘り起こしていかなくてはいけませんが、とりあえず掘るべき場所がわかったことは大きな収穫でした。


ミラノサローネ

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4日にわたって開催されたデザイン見本市が終わり、後日同じ会場の別のホールで同時期に行われていた家具の世界最大級見本市、ミラノサローネに行って、前記の見本市の意義を再考させられました。


家具は触らないと、そのよさが伝わらない(!)のです笑、いや、正直に言って私個人的にはそうは思いませんが、2021年現在、今のところ殆どの人はそう思うでしょう。そこには紛れもない物質-オブジェクトが存在していて、誰もがそれに触りたい、それに座りたいと思わせる美しさがあるのです。


見本市はパンデミックのために例年の数分の一に縮小されたらしいのですが、それでも大変な賑わいで、一年前に人がバタバタ死んだ国とは思えない程の人出で、ソーシャルディスタンスは過去のものになっていました。おいおい、ホントに丈夫かい。


まとめ


美しい家具に触ることができて、見本市の意義を再考した私ですが、それでも未来に見本市が今の形から変わっていくことにほぼ確信があります。


どのような形になるのかは分かりません笑が、メディア、音楽、モビリティ(自動車)業界を始めとした多くの業界が、新興勢力(大雑把に言うとIT)に、私たちが想像もしなかったやり方でとって変わらられたことを考えると、あまりに物理的なやり方に縛られている見本市のやり方が変わらないはずがないと思うのです。


それがいつ来るのか分かりません。ストリーミングミュージックが音楽業界を駆逐してしまったように、ある日突然その日が来るのかもしれませんし、デジタル情報機器がメディア業界のパイを徐々に奪っていったように、ゆっくり変わるのかもしれません。


でもそれが起こるまで、私も従来型の見本市に参加し続けると思います。


ここまで読み進めていただいて、ありがとうございました。


そうは言ってもまだまだ国際見本市の重要性は、この先しばらく続くと思われます。もしご自分のプロダクトを国際見本市で展示したい、またはバイヤーとしてヨーロッパの製品を買い付けたいと思っている方は、ぜひご連絡ください、お力になります。

グラフィックデザイナーが考える、コンテンポラリーなボンサイとジャズ

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盆栽イラストレーション

こんにちは、北ドイツのハンブルグでアートディレクターをしています、コイです。今日は私の好きな盆栽とジャズ、そこから繋げるのはちょっと無理クリですが、21世紀における産業革命と、日本とドイツの進む方向性の違いまで広げて、私の私見を書き綴りたいと思います。

 

 

盆栽マイスター

私は毎年実家のある富山県に数週間帰省しています。そこで勝手に師匠と仰いでいる80代の、造園、盆栽園を営んでおられる方のお手伝いを毎年数週間、ここ5年間連続やらさせていただいています。

 

そこで盆栽の針金を外し、無駄な葉を切りながら、若い時分に盆栽でとても儲けた話や、その方の考える盆栽のあり方などを教えてもらったりして、蚊の多さには悩まされてはいますが、お金に変えられない楽しい時を過ごしております。

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盆栽園にて

盆栽は流行っていない

その盆栽マイスターは、とてもセンスの良いミニ盆栽をたくさん作っておられるのですが、どちらかというと芸術家肌の方で、販売には疎く、農協のようなところで価値に合わない安価な値段でそれらを売っておられます。

 

どのくらい盆栽が流行っていないか、という例には事欠きません笑。

 

先日、ご高齢を理由に、長年可愛がってきた盆栽を引き取って欲しい、という依頼が私の盆栽マイスター(彼自身もかなりの高齢ではありますが!)のところにきて、軽トラ2台で現場に向かいました。

 

それはもう大変な量の盆栽で、空の鉢も合わせると軽トラ2台がすぐいっぱいになりました。誰も引き取り手がいないということで我々に連絡が来たのですが、これらを引き取った私の盆栽マイスターも、「鉢はともかく、これは売りもんにはならんちゃ」とおっしゃっていました。

 

その方のセンスも関係しているのかもしれませんが、こういう(ハンパに大きい)場所を取る盆栽を欲しがる人は、今日日いないというお話を聞きながら、ふと外を見ると、荒廃した大きなビニールハウスの群れが見えて、あれは昔、富山県で一番大きかった盆栽園の後だ、という説明を受けました。

 

東京などでは若いおしゃれな女性がミニ盆栽(や苔玉?)をやっておられるのは知っていますが、一般的に盆栽は、「流行っていない」という現実を目の当たりにして、一盆栽ファンとしてとても残念に感じています。

 

流行っている、流行っていないにかかわらず、好きなことをしてればいいじゃん!という向きもありますが、流行っているというのは、たくさんの人の関心を集める、と同義語ですから、裾野が広がり、それが多様になり厚みが増すということにつながるのです。

 

ジャズの裾野の広がり

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ジャズフェス

ジャズのジャズたる所以は、インプロビゼーション、フィーリングで、その人その人によって解釈が違い、それをよしとしているところだと思います。私もジャズが好きで、たくさんのアーティストが登壇するフェスなどにも足げに通っています

 

それにつけても今日のジャズの自由さは、枠がないにも等しいくらいのはち切れ具合で、音楽性の発展と進化が裾野を大きく押し広げているように見えます。そこに収まる資格は、「ジャズから影響を受けた音楽」とでも言えばいいのでしょうか? 盆栽もそれくらい裾野が広がれば、もっと楽しい、かな?

 

盆栽と鉢植えの違い

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寄せ植え盆栽

私は盆栽の「コンポジション」の妙に強く惹かれます。そして、「フレーム」で切り取るところ。

 

「コンポジション」はデザイナーであれば誰もが意識するレイアウトの一番大事な核心、どのエレメントをどのように配置するか、ということで、寄せ植え盆栽(違う種類の植物を一つの鉢に植える盆栽表現の一つ)のそれはレイアウトに他なりません。

 

「フレームで切り取る」は写真を、ただの情景を記録するツールから、芸術表現のツールに押し上げた観念で、どこで、どう切り取るか、は人によってセンスが大きく違ってきます。盆栽の、鉢で外界から切り取られているところはまさにこれに近い感覚だと思います。

 

私にとってはここ、作為的に鉢の中をデザインすること、が鉢植え植物と盆栽の大きな違いです。しかしただ単に道端に生えている植物を見るだけでもホッコりするので、やっぱり草花が好き笑

 

現代的な盆栽

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モダンな盆栽の提案

私は伝統的な盆栽に対するリスペクトは当然持ち合わせていますが、盆栽やさんでお手伝いしている時、ミニ盆栽ばかりに目がいっている自分に気がつきました。いろいろ考えましたが、ミニ盆栽のよさは、敷居の低さにあるのではないか、それは誰にでも手が届き楽しめる民主的な芸術なのではないか、という想いに至りました。

 

そしてこれはまだ世界に広がっていません。日本の中だけ見ても、都会には盆栽女子のような今までの盆栽ファンとは異なる感覚を持った方々(ボンサイ?カワイ〜笑)もいらっしゃるようですが、もっともっと裾野が広がって、私のお師匠さんの作るセンスの良いミニ盆栽が、その価値に対して正当な価格で売れてももいいのではないか、そして世界の園芸ファンが、しれっと玄関やバルコニーにミニ盆栽を飾るようになってもいいのではないか、と思います。

 

21世紀の産業は、ソフト

ここから突然ソフトの話になりますが、盆栽もある意味日本が誇るソフトに違いないので、大きな脱線ではありません笑。

 

21世気になって、世界の先進国はハードからソフトに大きく舵を切っている中、日本は20世紀にハードで世界を圧巻した成功経験からなかなか抜けることができなくて停滞していると言われています。

 

やはり同じく敗戦から、20世紀に奇跡的な復興を遂げた工業先進国であるドイツは、その成功体験にしがみつかず、未来志向で新たな道を模索していて、21世紀にはIoT立国として発展していく方向を選び、国民がこの考え方を広く共有し、EUの中でもドイツの存在感を上げています。

 

日本は世界が欲しがるソフトの宝庫でもあり、これをもっと自覚して、次の産業を開発し先導していくべきだと思います。いや、もちろんやっているんでしょうが、次のステージに移行するには、もっと大胆な発想の転換が必要で、それには今まで積み上げてきた固定観念を破壊し、積み直す必要があります。これは口で言うほど簡単な話ではないですよね笑、それはそうでしょう。でもやるしかないのです、誰だってジリ貧は嫌ですよね?

 

まとめ

ここまで私の私見を読み進めていただいて、ありがとうございました。

 

どうしたら固定観念を破壊できるのでしょう? どうやったらその上に新しい息吹を吹き込むことができるのでしょう?

 

それには、現実的ではないぶっ飛んだ意見や行動を監視、抑制する代わりに解き放ち、発想の転換をつぶす代わりに、後押しする必要があるのではないでしょうか? 

 

ジャズがこのような広がりを見せているのは、解き放たれているからで、固定観念に囚われていたとしたら、このような発展を遂げていなかったかもしれません。

 

盆栽もそうなって欲しい、かな?

 

オランダのデザイン見本市に1人で参加した

こんにちは、北ドイツのハンブルグで、アートディレクターをしているコイです。

 

今日は、オランダのアムステルダムで行われたデザイン見本市に、自分で作ったプロダクトを持って1人で乗り込んだお話をしたいと思います。

 


自前でプロダクトを作ったまではよかったのですが

フリーのアートディレクターとして独立してから受注を受けた仕事の傍らに、自分で考えたプロダクトを作っていました。コツコツと数年かかってプロトタイプを作り、身銭を切って生産したまではよかったのですが、いざ出来上がって、ちゃんとしたウェブショップも作り風呂敷を広げても、それだけでは売れません。当たり前ですね、私の知り合い以外は誰もそのプロダクトを知らないのですから。

 

これまでの人生、グラフィックデザイナーとして代理店の製作部に所属し、できたものを営業に丸投げし売ってもらっていた訳で、自分で売ったことがありませんでした。さぁ、どうやって売ったらいいのでしょう?

 

プロダクト・イン

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アイデアスケッチ

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プロトタイプ_01

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プロトタイプ_02



商売にはまずリサーチありきで、市場が求めているものを調査し、それに商品やサービスを合わせていくやり方と、まだ市場にないユニークなものを開発しそれを売る、というアプローチがあるということです。私の場合は後者、いわゆる「プロダクト・イン」という部類ですが、ユニーク(独創的)なだけに需要を掘り起こしていく必要があります。「まだ」誰も必要としていない商品なので、とにかく説明し、お客さんを納得させなくてはいけません。難しそうです笑

 


とりあえずはD2Cから始めてみる

地元ハンブルグで行なわれている、一般消費者が製作者から直接買う、いわゆるD2C - Direct to Consumerと呼ばれる商業形式のデザインマーケットに参加してみました。やはり始めは地元から、マーケットの場所代を除けばマージンも取られないし、直接消費者と話しながら売るのは得るものも大きいのは間違いありません。

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BtoCマーケット / ブース

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BtoCマーケットでの販売

そのD2Cで私が直面したのは、私の安価なプロダクト(12€、およそ1500円)を売るために、一人一人を説得しなくてはいけないことでした。黙っていても商品は売れません。

 

規模の大きなものにも参加してみましたが、同じ事です。商売とはそういうものなのかもしれませんが、見たこともない商品を売るにはたくさん説明する必要があり、1日に100人に100回同じ説明をしなければなりません。こ、これは大変だ...

 

BtoBに挑戦してみる

そんな訳で、今回アムステルダムで開催された、BtoB - Business to Business、企業を対象とした商取引のデザイン見本市に参加しました。

 

プロ相手なので、(成立すれば)取引額が大きく、まとまった注文を期待できる代わりに、参加費も通常は高額です。しかしこのアムステルダムで行われた見本市 - showUPにはスタートアップ枠があり、限定的ではありますが比較的に安価で参加できる仕組みがあり、それを利用しました。

 

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アムステルダムのデザイン見本市会場

見本市はアムステルダム中心地から離れた巨大な会場で行われました。基本的に参加者、来場者の80%がオランダのマーケット関係者であったようですが、オランダは開かれた国であり、デザインのレベルが高いので、EU圏内からも多数の来場者があったようです。

 

私がもらったスペースは、2メートルの棚2つ、しかし隣とは壁で区切られた独立したスペースでした。その巨大な会場に置くと私の開発した小さな商品は、さらに小さく見えました笑。

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私のもらったスペース

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2メートルの棚2つ

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巨大な会場でさらに小さく見えるプロダクト

私はオランダ語は話せないので、英語かドイツ語で営業しましたが、オランダ人は英語がフツーに話せるので、そこに障害はありません。自分のプロダクトのことだし説明するべき事は大体決まっているので、コミニケーションもそう難しくはありませんでした。

 

D2CとBtoBの大きな違い

前記したように、直接消費者に売るのも難しいのですが、販売店や卸業の人達に売るのは別の意味で難しい面があります。

 

まず直接消費者に売るのは、自分のお財布との相談、そして好きか嫌いか、ということに尽きます。逆に言えばそこをクリアーすれば買ってもらえるのですが、プロはもっと多角的に商品を見るでしょう。顧客の顔を思い浮かべたり、どのくらい売れるのか、これをお店に置くことにどういう意味や効果があるか、なども当然考慮されるでしょう。有り体に言って、もっとシビアなのです。

 

初日に凹む

初日は日曜日、ヨーロッパでは日曜は普通お店はお休みなので、リテーラー(販売店)に卸すディストリビューターやデパートなどの小売店のバイヤー達が多く訪れたのではないかと思います。

 

そこで同じような批判を何度も受けました。要約すると、もっと簡単に、手間のかからない、売るのに説明が多く必要とされない商品にした方がよい、というものでした。凹みました笑。

 

私のプロダクトは、自分で組み立てる必要があるDIY (ドゥー • イット • ユアセルフ)で、完成させるためにはさらに別に中身を調達しなければならない性格のもので、面倒です笑

 

ギフト需要を狙った価格帯ですから、あげた人に苦労を強いては売れないとダメ出しもいただきました。

 

でもそれが私のコンセプトで、半分しかないものを人にあげて、後の半分はもらった人が工夫して完成させる、というクリエイティブなプロセスを楽しむことに意味があると思っていました。しかし何度もプロに言われて、これは独りよがりな考え方なのか、と悩みました。

 

そして2日目を迎える

2日目は月曜日、少し違った層のお客さんが訪れたように思えます。月曜はミュージアムショップや個人商店を経営する人などがお休みで、もっと「個性的で面白いもの」を探していた人が多かったのではないか、という感じがしました。

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ミュージアムショップのバイヤーと話す



そこでも上記した「独りよがり」のコンセプトを説明したところ、1日目とは少し違った反応がありました! その日の終わりには参加費が出る程受注をいただき、オランダ、ベルギー、ドイツの小売店との取引のきっかけを掴むことができました。それはD2Cの一人ひとりのお客様にものを売るのとは違ったレベルというのを体感できたことでもありました。一人のバイヤーから購入していただくということは、D2Cの一人ひとりのお客様に買っていただくのに比べて数十倍、こともすれば数百倍の取引額になるわけですから。

 

見本市に参加するためのコスト

国を跨いだグローバルな取引が個人レベルで可能になった昨今、この様に手間と費用のかかる見本市に参加する必要が本当にあるのでしょうか? その数日間に出展者が負担する費用は、私の様な小さなスタートアップでも数十万円、大きなブースで来場者を迎える出展者には数百万円単位の出費は下らないだろうし、人員や商品数が増えればそれ以上かかるでしょう。それは見本市のネームバリューや集客力にもよるだろうけどとにかく大変な費用です。それだけの見返りがあるのでしょうか? また見本市は、来場者にも出費を求めます。入場費や旅費、そして貴重な時間を割かなくてはならないのですから。商売には何がしらの先行投資が必要で、人やものを動かさなくてはなくてはならない見本市は依然として比較的大きな資本が必要です。

 

つまるところ見本市に参加するのは、ブランドを育てるという先行投資の意味が大きいのには間違いはなさそうです。ということは、継続しなければ意味がありません。それは私の様な小さなスタートアップには、投資を受けることでもない限り、難しいことです。

 

もっと安く生産者と卸業者をつなぐ方法

いろんなコストが劇的に下がったこのインターネットの時代、商品を売買するには上記の見本市以外にもいろいろな方法があると思われます。商品を作ったからにはそれを模索していくしかないのですが、その見本市で出会った業者が後日連絡してきて、彼らが運営しているプラットフォームに登録する運びになりました。そのプラットフォーム業者は、BtoB見本市の機能をインターネット上で再現していて、つまり小売業者がそこで新興ブランドなどを探し卸売価格でまとまった数量を購入し、それに対して売った方の生産者側が幾ばくかの手数料をプラットフォームに支払う、というものです。これなら売った額に対しての課金なので、大きな先行投資は必要ありません。 どのくらい売れるかはわかりませんが、これならリスクがないので、販路の一つとして悪くありません。しかしこのオンライン見本市業者に登録を可能にしたのも、リアルの見本市に参加していたからこそです。やはり見本市に参加することには、一定の意義があることには間違いはなさそうです。

 

まとめ

ここまで読み進めていただいて、ありがとうございました。出展者として参加したのは今回が初めてでしたが、日本の卸業者、つまり購入する側のお手伝いとしてヨーロッパの国際的で大きなおもちゃの見本市に何度も参加したことがあります。そこで見たのは中国のプレゼンスの大きさ、それに反比例して日本のプレゼンスの低さでした。前記の通り、見本市には一定の意義と小さくない可能性があります。国際的な取引となれば、今のところ必須であると言っても過言ではないと思います。これは今日の外向きの中国と内向きの日本の状況を如実に表したものではないのでしょうか? 

 

日本のメーカ、並び卸業者の皆様、私が通訳から商談取引までお手伝いしますので、見本市に参加されたい方は私に御用命を笑! 

 

そして以下が私の見本市に出した製品のウェブサイトです。よかったら見てみて下さい。そして気に入ったらぜひ購入してみて下さい、日本にも送りますよ!

www.oribon.de

 

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ストーンペーパープラントポット、熱帯雨林の動物シリーズ

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プロダクト、ストーンペーパープラントポットのパッケージ

 

人と自分を比較しないことで、幸福に気付く

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人と自分を比較しないことで、幸福に気付く

こんにちは、北ドイツのハンブルグで、アートディレクターをしています、コイです。今日はタイトルの、「人と自分を比較しないことで、幸福に気付く」ということについて、個人主義や民主主義の歴史の長い、また移民も多いドイツに長く住む、私の個人的な視点からのお話をしたいと思います。

優越感と劣等感

例えば同年代、同業者なんかだと、ついつい自分と比べちゃって、優越感に浸ったり、劣等感に苛まされたりすることって、あると思います。でも、人と自分を比べたり、ランクをつけたりしない事で得られる自由って、とても尊いと思います。

外国人って自由

私はドイツに住んでいるのでここでは外人で、それは実はとても楽しい立場でもあります。まず、存在自体がドイツ人からすると異端なので、多少ヘンでも許されるきらいがあるし、姿から年齢も不詳です。また、比べる土壌が違うので、他の人のことはあまり気になりません。

自分なりの幸せ

ドイツは基本的に個人主義で、外国人もとても多い多様な社会だから、同調圧力が比較的小さく、平たく言うと他の人をあまり気にしません。貧しくても教養がある人が少くないし、お金持ちでも普通に暮らし、ゲイやその他のマイノリティーにも寛容で、それぞれ個々人が自分のレベルにあった幸せを楽しむチャンスがあります。

自分が幸せなら人を羨む必要がなくなる

ドイツに限った話ではありませんが、自分が幸せなら人を羨む必要がなくなり、それこそが豊かな暮らし、人が自由になり、そして幸福に近ずける道に思えます。人と比較せず自分のしたいことをすることから生まれるダイナミズムは、自分の個としてのポテンシャルを引き延ばすエネルギーになり、個の生きがいになりそれが幸福に、そしてそれは社会にプラスになる形で、還元されるのではないでしょうか。

個性がもたらすもの

人間を含む社会性のある動物は、大なり小なり同調圧力が働く社会に生きています。そうしないと社会が成り立たないからです。でも社会が成熟してくると、個性が出てきます。それらを受け入れる事で、社会の枠組みを維持しながらも全体がさらに高みに上がり、厚みが増し、引いては全体の利益になる、これは民主主義の歴史が証明しています。そしてこれからの民主主義は、次の段階に移行する時期に差し掛かっていると思いますが、今回のお話とズレるので、また次回にでも。

まとめ

ここまで読み進めてもらって、ありがとうございます。他人と自分を比較して一喜一憂しないことにより発見できる、個人の幸福についての考察でした。

 

人の失敗、不倫や薬物関与、盗作疑惑などをなんの法的根拠もなく正義ヅラしてそれでいて匿名で叩いている暇があったら、そのエネルギーを自分と社会の幸福に向けましょう。その方が建設的です。

日本が捕鯨を続ける合理的な理由を教えてください

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こんにちは、北ドイツのハンブルグでアートディレクターをしている、コイです。私の住むドイツで年末に、日本のIWC (国際捕鯨委員会) 脱退のニュースが駆け巡りました。それについて、私の思うところを後述したいと思います。 まず、ゆったりとしたドイツのクリスマスのお話から。

ドイツのクリスマスの過ごし方

クリスマスで、パートナー (事実婚なので、妻と呼ばずこのように呼びます) の実家に来ています。ドイツのクリスマスは、家族でゆっくり過ごすことが大前提で、日本の大晦日に似ています。

昔の日本の正月は、3日までやることがなかった

ほぼ全ての商業活動が停止しているので、基本的に暇で、家族とゲームしたり映画を観たり、本を読んだりしかすることしかなく、この忙しいご時世、それはそれでいいと思います。私が子供の頃の日本の正月は三日まで休みが基本で、こんな感じでした。

親戚挨拶回り(笑)

この時期、やはり日本の正月のように親戚回りも行われます。コーヒーを飲み、お菓子をつまみながらの談笑は、ドイツの寒く暗いクリスマスにおける暖かい風物詩の一つです。

日本のIWC脱退のニュースが駆け巡る

そんなまったりとした年末に、日本のIWC (国際捕鯨委員会) 脱退のニュースがドイツを駆け巡りました。そもそもドイツは現代の捕鯨に批判的で、また、日本が捕鯨を続けていることを知らないドイツ人はいないくらい、このテーマに関心が高いのです。このニュースは、年末の人々が家に篭る時期に、老若男女全てに隈なく行き渡り、親戚回りの人々と談笑をしている際になんども聞かれる羽目になりました。子供からお年寄りまで、皆、私の口からそれについて聞きたがります。

なぜ、日本は絶滅危惧種である鯨を獲るのかという質問

ドイツの反捕鯨にもいろいろなトーンがあります。知的水準の高い動物である鯨を獲るべきでない、という急進的な考え方や、絶滅危惧種だからという理論的な意見まで、千差万別です。前者のような感情論を持つ人とは、議論の行き着く先が全くないので私も話し合いたくないのですが、私が経験したほとんどの議論は後者、つまり絶滅危惧種だから獲るべきでない、というものです。私は現代の捕鯨に全く賛成していないにも関わらず、家族の集まりや職場、飲み会などで図らずとも日本の立場を代表するものとして弁明を求められ、正直うんざりしています。

日欧米オセアニアで、いつまでも交わらない議論

日本の捕鯨は、絶滅危惧種ではない種に限っている、と言われていますが、本当でしょうか? こう言うと誤解を招くかもしれませんが、それが本当かどうかは、私にはもうどうでもいい事です。それをドイツ人と議論し、私の言っていることの裏を取ろうと思っていろんな資料を違う言語で調べてもみましたが、双方の意見は言っていることが違い、平行線をたどり交わることがなかったのです。これがこの問題の本質、「交わることがない」のです。

 

前記の通り、違う立場の弁明を求められることにうんざりした私は、いつしかこの議論を放棄しました。つまり、この話題には触れないことにしたのです。聞かれても、日本のやっている事は、私のポリシーと違う、という事で議論をしませんでした。

 

日本でもしかり、欧米の反捕鯨を支持しているわけではなく、外から見た日本の捕鯨に対するイメージを説明し、日本の国益を失している、という意見を言うだけで、議論がとても感情的になり建設的にならない、という経験を何度かし、やはりうんざりしてそれについて語ることもしなくなりました。

だからと言って議論をやめていいのか?

しかし、今度のIWC脱退というニュースは、我々が思っているよりはるかに大きく諸外国で取り上げられている出来事で、過小評価をするのはとても危険だと思います。

 

一番まずいのは、自分への戒めのためにも言いますが、議論を放棄した事です。これだけ議論が平行線を辿ると、議論を続けることを放棄したくなるのは、前記の通り私も十分に理解できますが、国の代表が国際的な場で議論を放棄して、プラスに働いたことが歴史上あったでしょうか?

じゃあどうしたらいいのか?

解決策が見つからない、議論が行き詰まっている、じゃあどうしたらいいのでしょう? 答えはありません、すみません。 でも私が思っている事は、以下です。

 

国は国益を考えて動いています。もちろん、自国のことだけを考える近視眼的なスケールではなく、包括的に、しかし、最終的には国益になるように行動、判断するのが基本であり理想です。これを考えると、私の目には、どうしても日本が捕鯨の立場を貫くことが国益になるとは思えません。

 

シーシェパードの行動や反捕鯨映画(The Cove)などの一方的で暴力的なものの見方に私も怒りを覚えますが、捕鯨は日本の伝統的な行動だ、と言われてもしっくりこないのは、地域差でしょうか? それとも屁理屈でしょうか? よもやツッパリでしょうか笑? 100歩下がって捕鯨が日本の伝統文化ということにしても、南極海の捕鯨はまさか日本文化の一部ではないでしょう。

 

ドイツに住み、外から日本を見る私の個人的な意見は、国益を考えての捕鯨の放棄です。人から言われて自分の行動を改める事は、私個人的に最も嫌いなことではありますが、それをしないことによって被る不利益を考えれば、理論的ではないでしょうか? 現代の捕鯨は国際的な関心がすこぶる高く、SNSなどで感情的に拡散され、それを続ける捕鯨国のイメージを必要以上に貶める上に、鯨肉に対する商業的な需要もない、これ以上の非合理性を私は知りません。

まとめ

捕鯨については、前記の通り、ドイツに住んでいて何度も遭遇したテーマであり、ネタにされたり、何度もした行き詰まった議論など、良い思い出はありません。日本でそれについて語ることもしかり、ですからその話題をなるべく避けるようにしていました。でも今回の日本のIWC脱退という物騒なニュースを聞いて、それが物騒であることを日本の皆さんにお伝えしたいと思い、今一度考えてみました。皆さんにも考えるきっかけにしてもらえると幸いです。

金儲けのために生まれたんじゃないぜ

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Title: 金儲けのために生まれたんじゃないぜ

こんにちは、北ドイツのハンブルグでアートディレクターをしています、コイです。今日は日本のプラットフォームビジネスでユニークな存在感を示しているトラベロコと、その他の業界にもれずIT化の波に飲まれる旅行代理業についての考察をしたいと思います。

 

 

デザインビジネスのお話し

このブログは、海外に住む日本人フリーランスデザイナーが、どう仕事をしているか、というお話をしようと始めたのですが、フリーランスには厳しい守秘義務があったりして、なかなか詳細をお伝えすることができない、ということに今更気づきました笑

そんなわけで、今日もデザインの話ではなく、最近始めた副業と趣味を兼ねた、日本人旅行者のガイドをしたお話をしたいと思います。しかし、IT業界の話も含みますので、そんなにブログの趣旨から外れた話にはならない、ことを祈ります。


トラベロコが個人旅行を変える

日本のIT系仲介サービスのトラベロコ (Traveloco) をご存知でしょうか? ざっくりいうと、海外を訪れる日本人旅行者と、現地に住む日本人(ここがポイント)ロコ(居住者)を繋げて、サービスを提供させ、手数料を取る、というもので、民泊大手のエアービーエヌビー (AirB&B)、タクシー業界を脅かしているウーバー (Uber) よろしく、スマートフォンがインフラと化している昨今、とても熱いプラットフォームビジネスです。


プラットフォームビジネス

日本人に特化したユニークなプラットフォームビジネスの仕組みに興味があったので登録してみましたが、使ってみるとすぐにとても面白いポテンシャルがあることに気づかされました。前記のIT系の仲介サービスはすべて、既存の産業の仕組みを破壊するポテンシャルを持っていますが、本質は、サービスを提供する側と、される側をITで直接繋げ、今まで中間に幾層もあった複雑な手続きや仲介業者を排除し、垣根を低くし、安価にする仕組み、と言えるのではないでしょうか。いや、それらのプラットフォーマーが、中間マージンを取るには違いないのですが、それにしても既存の仕組みに比べると随分シンプルな構造になっています。そのサービスを詳しく知りたい方は、ご自分で調べていただくとして、ここでは私の考察、体験と感想を共有したいと思います。


旅慣れた人が使っている

結論から言うと、前記のサービスは今までの海外旅行体験を変えると思います。今までは初めて訪れる言葉もわからない場所でできることは限られていました。ガイドブックに載っている場所を訪れたり、大通りを歩き、ショッピングし、観光客向けのお店で食事する、という浅い経験が中心にならざるを得なかったでしょう。もし運よくあなたの友達がそこに住んでいたりすれば、もう少し深い体験もできるかもしれませんが、そんなに都合よく訪れるところに、友達は住んでいませんね。

このサービスは、そこに住む、そこを熟知した人が、ローカル情報を駆使して、つまり地元の人に人気があるレストランや、予約なしでは参加できない事や、現地に住んでいなければ知り得ないコンサートやパーティ、オープニングセレモニーに参加することもなど、友達に案内してもらうのにほど近い経験ができるのです。そして、そういう深い体験を求めている人は、たいてい旅慣れている人が多い気がします。


今まで私が旅行者に提供した経験

たいてい、そういう経験を求める、好奇心の旺盛な方は、女性が圧倒的に多いと言わざるを得ません。日本人男性、頑張って笑!

個人情報なのであまり詳しくは描写できませんが、今まで私がハンブルグを案内した方である歯科医の若い女性は、ハンブルグの盛り場のレゲエバーやクラブをホッピングし、ドイツのサウナを経験してみたい、そしてドイツの歯医者に行ってみたい笑、という濃い希望をお持ちで、全て経験されました。 すごい好奇心! 

ある60代のジャーナリスト(?)の女性は、やはりハンブルグの歓楽街にある有名な赤線をのぞいてみたい、という希望をお持ちで、そこには残念ながら女性は入れないので、その回りを歩き、ハンブルグで一番古いバーに入り、夜の街の雰囲気を安全に、女性一人旅で味わうことが出来ました。

新婚旅行でいらしたカップルは、奥様が子供の頃からキャプテン翼の大ファンで、ブンデスリーガの人気のある試合を巨大なスタジアムで観戦し、子供の頃からの巡礼の夢を叶え、地元の人に人気のある予約の取れないレストランで、超絶美味しい肉とワインを楽しみました。

私もすべてご一緒し、私の分も支払ってもらった上に、おこずかい程度ではありますが、報酬もいただきました。そして、今までご案内したすべての方は、ハンブルグの都市となりをとても気に入り、なかなか味わえない、濃い時間を楽しんで、とても喜んでらっしゃいました。

これは楽しい! 人に感謝され、お金までもらえるとは!


私も自分で利用してみたら

先日、ベネチアを訪れることがありました。有名な話ですが、8万人の人口のベネチアは年間2000万人を上まる訪問者を抱え、オーバーツーリズムとよばれています。魅力ある場所ではあるけれど旅行者が異常に多く、用意されたツーリズムから抜け出すのはとても難しい土地に違いありません。旅行者は、観光客向けの高めのレストランやカフェ、おきまりのコースをなぞることが多いのではないでしょうか。

 

そこで前出のサービス、トラベロコを使い、日本人建築家でベネチア在住の方を探し、ビエンナーレという建築祭の中でベネチア建築の見学と、地元の人が行く美味しいレストランや、甘いクロワッサンがある素敵なカフェに連れて行ってもらいました。彼女はここの住人なので当然、合理的に、早く、面白いところを選んで、安く移動する方法を知っています。また、ベネチアの裏話であったり、触りではありますが、彼女がなぜ、どうやってここに住んでいるのか、ベネチアをいかに愛しているか、などの人間的な面を、ワインを飲みながら聞けたことは楽しく、ベネチアをとても身近に感じたひと時でした。

次の日、彼女無しで回った観光、食事などのクオリティーと比べると、雲泥の差でした。


大手旅行代理店からのオファーを受けてみたら

これらの良い経験に味をしめて、某日系大手旅行代理店のガイドのオファーを初めて受けてみました。本職としてではないので団体客の案内なら受けなかったと思いますが、そのオファーは女性一人を、やはり繁華街にあるライブハウスまでお連れして、コンサートを鑑賞し、その最中の安全確保、そしてホテルまでお届けする、という、私にしたら朝飯前の様なものだったので、受けてみました。

その方が旅行代理店にどのくらい支払われているかは知る由もなく、知る必要もないのですが、前出のトラベロコとは全く違うレベルの金額が動いているでしょう。そのせいかはわかりませんが、今回のタスクは、今までのような楽しい経験からは程遠い、うんざりするようなものになりました。その方や、代理店の悪口を言うために私の時間を使ってここに記している訳ではないので詳細は割愛しますが、一言で言うと、人間として扱われなかった、ということでしょうか。サービスを求めてお金を払い依頼されているのだから、私個人のことはそれ程気にしなくても良いのですが、それでも生身の人間ですから、道具の様に扱われると、傷ついてしまいます笑。前記の、トラベロコではなかった扱いでしたが、それはプラットフォームの問題でしょうか? または人の問題でしょうか? それともお金の話でしょうか笑?

 

まとめ

我々人類は、いわゆる第4次産業革命の最中にいて、20世紀までとはずいぶん違う世界に住んでいますし、これからも大きな変化が訪れることは、止められません。上記のプラットフォームビジネスが、既存の業界を破壊するのは時間の問題で、法律改正などで対処しても、自らを大きく変えない限りどんどん隅に追いやられることは、歴史が証明しています。生き残りたかったら、今までのあり方に疑問を持ち、世の中を俯瞰し、大きな流れに向かって進化し続けるしかないのではないでしょうか。

 

ここまで読み進めていただいて、ありがとうございました。

ドイツの諺に、「人生はポニーホフ(仔馬がいる草原)ではない」(Das Leben ist kein Ponyhof)、という、ありがたい教えがあります。これは、人生、楽しいことばかりではないよ、と言う教訓で、その通りなのですが、それを踏まえた上で人生を楽しみたいものです。我々は、お金儲けのために生まれたのではないですから。

 

 

絵本のコンペに作品を出すダス!

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こんにちは、北ドイツのハンブルグでアートディレクターをしています、コイです。今日は、絵本のコンペに挑戦したお話をしたいと思います。

 

 

メディアの寿命

私が今まで従事してきた広告やウェブサイトというメディアは、どんなにクオリティーが良くても、どんなに制作に時間とお金がかかろうとも、数年、いや、数ヶ月もしたら跡形もなくなって残らない、という性質があります。商業デザインなら多かれ少なかれ同じような性質があるとは思いますが、広告、ウェブデザインは特に賞味期限が短く、儚い幻に例えることすらできそうです。

絵本の寿命

しかし絵本は、商業デザインであるにも関わらず、何年経っても読み継がれる性質があるように思えます。私が子供の頃に読んだ絵本を、自分の娘に読み聞かせたことがあります。それはかなり極端な例であるとは思いますが、基本的に絵本に求められるのは、普遍性であって、流行り廃りではなさそうです。

絵本の魅力

それでなくても、絵を描く人間、お話を作る人間にとって、絵本は憧れのメディアで、作家性が高く、子供達に自分が創造した話を伝えることは、表現者にとってこの上ない喜びになるに違いありません。

チームワークと個人プレー

また、絵本を一冊作るのは、大変な作業であることに間違いはないのですが、映画などその他の伝えるメディアに比べて、関わる人間が比較的少なく、小さなチーム、究極的には作家だけで創れる、という特色があると思います。これは孤独な闘いでもあるのでしょうが、大きなチームで制作の一端を担う作業を続けた者から見ると、自由度が高く、妥協するべき箇所が少ないのではないか、と思えます。

絵本制作にのめり込む

そんな憧れの絵本の制作を一度は手がけてみたい、と常々思っていましたが、人は何か具体的な目標と、それに向かって進むエネルギーがなければ、先があるのかないのか分からない道を進むことは、なかなか憚られます。

ある日、ひょんなことから絵本のコンペの話をいただきました。前記した、私が思い描いていた絵本制作の魅力、普遍的であることや、少人数で初めから終わりまでの話を作り、つじつまを合わせ、その世界観やメッセージを構築する作業は非常に楽しく、怒涛のように制作にのめり込んでいきました。

人との共同作業

ある日、小学校教師の友達に絵本のコンテを見せたところ、その友達の才能を発見することになりました。そこから彼女と共同作業を始めましたが、前記したチームプレーの煩わしさ、不自由度などにストレスを感じていた過去にも経験した、複数の脳を使うことによる多面的なものの見方、を手に入れました。これは、どんなチームで、誰と、どのような役割分担で作業をするのかにもよるのだと思いますが、波長さえ合えば、2つの脳を使うということは、1つの時の2倍の経験値を得ることができます。当たり前のことかもしれませんが、クリエイションの波長が会う人とみっちり共同作業して、新しい視野が広がりました。そして、プロジェクトの終わりには、この上ない爽快感、達成感を、2人で共有することができました。

コンペのデキレース

締め切りギリギリになりつつも自分たちの満足いく形に仕上がり、投稿できました。しかし、その後の舞い上がった我々の心をを打ち砕く情報を、インターネット上で見つけてしまいました。

デザインのコンペには、よくデキレースがあります。それは初めから受賞者は決められている、または絞られていて、コンペはそれを盛り上げるために催される、というもので、言い過ぎを承知で言えばヤラセに近いものです。大人の世界ですね笑。

絵本のコンペでは、コンペの形を取って応募者を集め、最終的に作者に自費出版を勧める、というビジネスモデルがあるらしい、という情報を見つけてしました。汚い笑。いや、それでデビューしている作家さんもいるのでしょうが、コンペの形をとっていることが、ちょっとずるいですね。

このコンペがそういう性格のものでないことを願っているけど、世の中そんなには甘くない、ということでしょうか笑。

 まとめ

ここまで読み進めていただいて、ありがとうございました。色々な気持ちを書き連ねてしまいましたが、全ての力を出し切った今、こう思えます。 結果は大事だが、そこに至る過程はもっと大事である、ということです。自分がどれだけ高く飛べるか試してみましょう。