磯貝 浩一郎、koichiro isogai, フリーランス、

ドイツ、アートディレクター日記

海外でフリーランスや、クリエイティブ職に興味がある人達に向けて

インダストリー4.0ってなによ?

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ドイツが提唱し、世界から注目を浴びているインダストリー4.0って、大げさに第四次産業革命なんて言われることもあるけど、実際ドイツではどんな風に捉えられているのでしょう?

 

どこまでそれは進んでいるのか?

私の周りにはインダストリー4.0はどういうことで、どうなるべきなのか、ということなどをもっともらしく語れる人はいても、実務レベルでの進行形を体感している人たちを知りません。

IoTAIを用いることによる製造業の革新」

Wikipediaでは説明されていますが、実際それはまだ始まったばかりで、2017年現在では実務レベルどころか、セオリーやビジョンすら模索中なのでは、というのが私の知ったかぶり意見です。だってフツーのドイツ人はそんなこと知りませんよ笑 製造業でそれを今の時点で実感し、体験している人たちがいるならぜひお話を聞きたい。

どうしたらその一翼を担うことができるのでしょう?

でもドイツが注目し提唱している21世紀の世界トレンドには違いないから、ドイツの動向を注視することは間違いではないし、ドイツやその他の工業先進国で開催されている関連のワークショップや会合、メッセなどでそこにきている人間と議論しながら、どういう方向に向かっているのかを一緒に考えることが、最前線を知ることに繋がるのではないかな、と思います。

 トレンドは追うよりも作る方が楽しい!

私の業界、広告、情報産業ではトレンドの移り変わりが今世紀になって加速していて、プレーヤーやルールすら変わることが頻繁に起こっています。

国をまたいだワークショップなどの会合や情報交換が頻繁に行われている中で、それらを単に追随するだけじゃなく、一緒になって考えて作っていく、もっといえば、トレンドを引っ張っていく立場になれば勝ちじゃないでしょうか? トレンドは追うよりも作る立場の方が圧倒的に楽しいはずです! 

今、インダストリー4.0というキャッチーなフレーズを作ってそれを実践している(しようとしている?)ドイツにはそういう思惑が見え隠れしています。

 

ここまで読み進めていただいて、ありがとうございました。

敗戦後、卓越した製造業で奇跡的な復活をとげた日本とドイツの両国が、21世紀になってからその間に差が開いてきているように見えるのは気のせいではなく、新しい世界基準を自ら作っていこうという強い意思と、そうしなければ20世紀に築いた栄光を失ってしまうという危機感がドイツ製造業に広く共有されていることが背景にあり、日本の製造業、情報産業に従事する者は、そこを直視し、業界や国レベルで危機感と戦略を共有していく必要があるのではないでしょうか? さもなければ今のジリ貧は止まらないように私には見えます。

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コンニチワ、アナタ、サムライデスカ?

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今日は仕事に関する話ではありませんが、 ドイツが受け入れた膨大な数の難民によって、私(も移民です)が目にした日常のちょっとした変化の話をしてみたいと思います。

アーユーサムライ?

って、最近何度も言われました。20年近くドイツに住んでいるけど、あまり言われた事がありませんでした。だってどうかと思いませんか? いい大人が、初対面の洋服を着てスニーカーを履いている東アジア人に、そんな事言うなんて? 

 話が噛み合わない

それはパーティで、スーパーで、道端でも、なんだか気軽に話しかけてくるアラブ系の男性が、まず中国人か、日本人か聞いてきます。日本人だというと、そうかそうか、と頷いて、じゃ、サムライだな、と断定してきます。いや、サムライってソルジャーの事だけど、知ってる? ということをやんわり伝えますが、正直面倒に思ってしまいます。そういう人とは得てして話が噛み合わない上に膨らまず、ステレオタイプなことを聞かれ続けて(スシは本当に生魚なのか?とか、忍者をどう思う? など)消耗してしまいます。

ステレオタイプ

ドイツ人にだってそういう日本に対するステレオタイプみたいなものはありますが、そんなことを私に面と向かって話す人たちにはあまり出会った事がありません。もうちょっと世の中を知っているというか、都会的なセンスがドイツ人にはあります。つまり、そういう類いの質問をしてくる人たちは主に中央〜西アジア、またはアフリカからの難民として最近ドイツに来た背景があり、東アジア人を見ることが珍しいのでしょう。

 百万単位の難民が1年で増えるとどうなる?

ドイツが近年だけでも難民を百万単位で受け入れ、ドイツの社会にまだ馴染んでいない難民は我々の周りに目に見えて多くなり、あちらこちらで小さな摩擦を引き起こしていることは想像に難しくないと思います。同じ民族が違う文化の地に住むと同族で固まってしまい、現地の人との交流が減ってお互いの心に疑心暗鬼が生まれてしまうだろうし、尊厳を持って生きるにあったって必要な、経済力や社会に貢献する一員という立場すら満足に持たない難民の人たちのストレスや絶望感は、この平和の地でもなくなることはないでしょう。本当に気の毒に思います。

未来は明るい?

今のドイツの国力、つまり経済力や存在感をもってしても時間がかかる話だとは思うけど、最終的には困難を乗り越え、人口増という国に必要なリソースを得る事ができると私は楽観しています。難民の子供たちは、他の子供達と等しくドイツで教育を受ける権利を与えられ、言葉も親よりずっと早く覚え(私の家もそうです笑)、ドイツの社会に溶け込んでいくと思われるからです。もしかしたら、スティーブジョブズのような人材が、難民の子孫から現れるかもしれません。そういう雰囲気と余力が、今のドイツにはあるように見えます。

 

ここまで読み進めていただいて、ありがとうございました。何につけ、ブレイクスルー(障壁の突破)には痛みや苦しみが伴うものだと思います。それを受け入れるには、その度合いと、覚悟、それにどのくらい耐えることができるのかにかかっているのだと思います。

 

 

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コワーキングスペース

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多様な雇用形態がある現代で必要とされて広がっている、オフィスのシェア、コワーキングということについて、今回はお話ししたいと思います。

コワーキングスペースとは?

コワーキングの定義は、事務所や台所、コーヒーメーカーなどを含むオフィス機器を共同で使いながら、それぞれが独立した仕事をしていることだと思いますが、最近ポピュラーなのは、会員制ではあるけれど図書館のように開かれた場所で、その時空いている場所に座って仕事をする、コワーキングスペースというものです。私が住むハンブルクにもそういう場所がいくつもできて、大抵は洋服のお店か、カフェかと見まごうばかりのお洒落な作りで、ガラス張りで外から丸見えの店内(?)では、ほとんどの人がヘッドセットをつけ、自身のノートブックに向かって何かをしています。カフェで仕事をする人もいる時代、でもずいぶん職種が限られそうな気もしますが、昨今はノートブックさえあれば皆仕事ができるのでしょうか?

体験してみました

私も一つ、うちの近くにあるコワーキングスペースに行ってみて、無料で体験してきました。料金は、一番安いもので月に80ユーロ(1万円位)、なんだか月額のスポーツクラブに近い感覚でしょうか。そのほかに別料金を払えば、個室や会議室にアクセスできる権利がもらえるのですが、前記の一番安いオプションで私が座って仕事をしてもいい机は、本当のオープンスペース、隣に座っている人の肘が当たりそうなくらい近く、とても窮屈な印象を受けました。この値段なら文句は言えないのでしょうが、このクオリティなら、 カフェや図書館でいいんじゃない?というのが正直な感想でした。その他にも以下のような制約があります。

  • 営業時間があり、夜には出入りできない
  • 週末に働けない
  • 混んでる時間だと空いてる席を見つけるのが大変
  • 私物を置いておけない
  • 会員登録していない友達を連れて入ることができない

グラフィックデザイナーの私には、ノートブックだけじゃなく大きなモニターが必要だし、コンピュータだけで完結しないこと、物理的なモデルを作ったり、紙を切ったり貼ったりする場所や、それらの道具を置いておくこともできない。

比較的割安で利用できるオプションがあることや、街のど真ん中にあること、そこに出入りしている人たちにインスパイア(?)されたり、もしかしたら仕事の幅が広がったり(??)する(かも笑)などの要素もあるけれど、私には魅力が少ないというのが結論でした。

その他のコワーキングスペース ー アトリエ

上記の、営利目的の場所貸しとはまた違うスタイルのコワーキングスペースも沢山あります。例えば、アートカウンシルのような団体が運営しているアトリエスペース、これはアーティストであることが条件であるところもあれば、もっと間口の広いポリシーのところもあります。アーティストの友人が借りているアトリエを、彼女が留守にしていた1ヶ月間借りたことがあります。上記の物件のように営利目的で運営されているわけではないので、相場に比べて料金がとても安く、運が良ければ個室ももらえるし、場所も広ければ自分の道具や作品を置いておくスペースも確保できます。いいことずくめですがそれ故に入りたい人が多く、格安である故に一度入居すると出る人が少なく、競争率がべらぼうに高いという問題があります。

その他には? 

例えば、空き家や空きスペースを大家と交渉して個人でオフィスとして借り、他の人たちに貸しているものなどもあります。これも良いところに当たるには運が必要ですが、上記のアーティスト協会のような団体に運営されている貸しアトリエなどに比べて見つけやすく、手に入りやすいと言えるでしょう。

入居してみました

友人の紹介で、ファッションデザイナーの女性が四人で借りているアトリエに一人分スペースが空いたということで、彼女達に会ってみました。自動車工場の2階部分というアトリエは広く、家からも近く、私が通っているスイミングプールや、毎日送り迎えをしている娘の学校にも近く、彼女達もとても感じが良かったので気に入り、申し込みをして受け入れてもらえました。

個室ではないけれど、私の道具や紙などの素材や撮影器具、本などを置くスペースももらい、夜でも週末でも出入りできる、制約も少なく、ランニングコストも低いワーキングスペースを手に入れました。モチベーションが上がります! 後々に、同僚のことや共同部分の使い勝手などを考察したものを、ここでお話ししたいと思います。

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ここまで読み進めていただき、ありがとうございました。同じ場所で働きながら独立した別の仕事をするコワーキングスペースも、上記のように多様性に富んでいます。それはいろんな働き方があるから、その受け皿になっているコワーキングにもそれが求められているということでしょう。

 

 

 

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スカイツリーにアートディレクションを!

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スカイツリーにアートディレクションを

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先日、東京を訪れた際に、世界で2番目に高い建造物に登りました。そこでは、ハード重視でソフトを軽んじている日本の構造的問題を考えさせられました。

 スカイツリーの価値

スカイツリー自体は全長634メートルあるという事ですが、展望台はその約半分の350メートル、それでもそこから見るメガシティは絶景の一言、360度の視野に広がるトウキョウはまるで生き物のように有機的にそこに実存しています。写真や映像では得られない、そこにいることでしか得られない感覚を味わうために、日本全国のみならず世界各国から人々が絶え間なく訪れています。

アートディレクターの不在

しかし、展望台では恐ろしく雑多で、意味もまとまりも無いデコレーションやら、下品で知性を疑いたくなるような催しが開催されていて、そこで味わうべき重要なエクスペリエンスを阻害していました。

 具体的には、かなり大きなハロウィンの幼稚なステッカーがあちこちの展望窓に貼られていて、そこからしか見えない特別な景色を覆い、あちこちに設置されて人の流れを悪くしている特設カウンターからは、やはりハロウィンの催しをアナウンスする奇妙な叫び声、「ハッピ〜ハロウィ〜ン」が響く。

 地上350メートルにわざわざ来ているのに、それと全く無関係で、そこで味わうべきエクスペリエンスのクオリティに遠く及ばないグロテスクな環境がそこに広がっているのは、アートディレクター、つまり美的環境を監督する者の不在が原因ではないでしょうか。

日本はソフト面で次のレベルにいくべき時

日本はこれだけ素晴らしいハードを作る技術があるのに、ソフトがお粗末なのは何故だろうといつも考えさせられてしまいます。それは知性の欠落ではなく、中身(ソフト)の重要性に注意と尊敬を払っていないからに他ならないのではないでしょうか。その空間と環境をデザインする人材を雇い、必要な予算をつけ、その人間に責任と決定権を与えるべきだと私は思います。

ヴィジュアルコミニケーションのアイデア

私ならその空間を拡張した環境をデザイン、キュレーションすることを考えます。そこにいることを実感できる仕掛けやストーリーを、例えばアーティストや建築家、テクノロジーの力を借りて定期的に創り上げ、催す、それらは外国人の訪問者が極端に多いこの施設で機能するように、言葉に頼らない、普遍的なヴィジュアルコミニケーションを中心にデザインされるべきであると考えます。

  • 例えばそこから見える景色にARを使って、世界中にある有名な高層建築物を窓に投影し、重ねて騙し絵のような光景を作ったり、
  • 例えば光学迷彩のようなテクノロジーを使って内壁や床に外の景色を投影して、350メートル上空を歩くような錯覚を作る、
  • 例えば終戦記念日には、そこから見える景色を終戦直後の焼け野原になった東京をシュミレーションして見せる、
  • それらが高度経済成長を通過して復興する様をタイムラプスで見せ、最終的には未来の東京の姿を映すなど、

それらのアイデアと展示により深化する経験を来場者に提供することによって、そこを訪れる意味と価値を上げ、ユニークな美術館のような文化度の高い立ち位置の施設にすることが可能ではないか、というのが私の考えです。

ここまで読み進めていただいて、ありがとうございました。変化の激しい21世紀を生き抜くために、デザインの力を信じていく決心を固めたコイでした。

 

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アートディレクションの値段

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先日した仕事を気に入ってくれて、出版社からもう一度依頼が来ました。ありがたいことです。今回は、デザインの値段のお話をしようと思います。

2回目の仕事のギャラ

前回のギャラは向こうから一方的に提案されたもので、普段私が希望しているものより30%くらい見劣りしていましたが、初めての取引であったし、出版社の仕事は広告代理店より払いが悪いのが普通ということ、それが慣習なら仕方あるまい、と思って受けました。

でも今度は私の仕事を気に入ってもらっての依頼なので、欲しい額を提案するべきと思って、フロントエンドのやはりフリーで働いている私のパートナーに相談しました。彼女は、値段を上げることには賛成してくれましたが、希望額は高すぎるという意見。それはプリントかデジタルか、ということよりも、仕事内容が社内用プレゼンテーションのアートディレクションだから、ということでした。

しかしそれは社内用とはいっても、全ての部署をまたぐ大きなプレゼンテーションで、部署長クラスの責任者を説得する材料になるもので、高度なビジュアルコミニケーションが求められました。そしてアートディレクションの値段が、プログラミングやアニメーションなどのテクニカルなものよりも劣る、というのには納得がいきません。

それは、私がスターアートディレクターである必要はなく、プロのビジュアルコミニケーションの価値を提供できるものとして、正当な評価と支払いを受けるべきではないか、という疑問でした。

デザインセカンド?

これだけデザインの時代、と声高に叫ばれて、ビジュアルコミニケーションの重要性が認知されてきているというのに、デザインがいつもおざなりにされてしまうのは、ビジュアルは目に見えるものであるという本質があるにもかかわらず、人々の目に入らないというパラドックス。つまりそれを判断する人間が一定のレベルにないと良し悪しがよく分からない、ぶっちゃけ価値が分かりにくい性質がデザインにはあると思います。

コミニケーションデザインはスキル

しかしコミニケーションデザインは、正しい答えと間違った答えとがある、ハッキリしたスキルである、という信念から、希望額を請求しました。通るといいけど笑 <ー いきなり弱気笑

 

ここまで読み進めて下さってありがとうございました。結局希望の値段を出しましたが、1ヶ月経った今までなんの反応もなく、先日リマインダーを出しました。早く支払って欲しい苦笑

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出版業界は生き残れるのだろうか? いや... 無理じゃね?

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今日は、ドイツ大手出版社から仕事を依頼され、数日間、ホームオフィス(遠隔で、自宅から仕事をする)で働いたお話をしたいと思います。

結論から言うと、現存の出版業界の未来は、暗い

呆れるほど非効率的な20世紀的な手法で原稿や情報をやり取りする様を見て、やっぱり出版業界に未来はない、と確信しました。

 いくつかの先進的な出版業界向けの共同作業(コワーキング)用の遠隔サービスがあるにもかかわらず、そういう効率的なワークフローは使わず、未だにメール、コピペ、電話の嵐、挙げ句の果てにはタクシー飛ばしてウチに来い、とか、びっくりするほど前近代的。もちろん現代的なワークフローを取り入れている出版社もある(私は知らない)のかもしれないけど、仕事の仕方云々、というより、時代と共に自分を変えていく柔軟さ、と言うか、そもそもその気がない組織は、恐竜のように衰退、吸収され消滅するのではないでしょうか。

 何が問題なのか

彼らの存在がそのビジネスモデルの上で成り立っているからで、そこに働く人たちは、プライベートでももれなくタブレットコンピューターを1台以上所有しているに違いなく、つまりメディアの現状と将来をはっきりと認識しているはずなのに、根本的に何も変われないこと、が一番の問題だと私は考えます。

音楽業界があっという間に衰退、移行したこと

彼らもストリーミングなどの台頭により、今までのビジネスモデルが立ち行かないのがはっきり見えていたにもかかわらず、なすすべもなく(なさずに)他の業界、具体的にはIT業界に全てに近いパイを持っていかれた事は、私たちの記憶に新しい。

 時間の問題

出版業界は、すぐにもインターネットに置き換わるだろうという当初の予想を超え、まだ踏ん張っているのが現状、それも時間の問題で、音楽業界ととてもよく似た経路を辿るであろうことに疑いの余地はなく、どう置き換わるか、ソフトランディングか、ハードランディングか、どうすれば人類にとって、そして文化的に良いのかが議論されるべきことではないでしょうか?

追記:  

請求書をメールに添付したPDFで送ったら、郵便で送りなおせ、と言われました。どっちでもよくね笑? むしろメールでそれを伝えるために返信しやりとりする時間や手間PDFをプリントアウトしポストに投函する時間や手間郵便物を物理的に届ける時間や手間郵便物が数日後に届いてそれをまた手動でシステムに入力する時間や手間を考えると、不必要なエネルギーをいくらか節約できるPDFの方がなんぼもいいんじゃね? と、またイラっとしてしまいました。

ここまで読み進めていただいて、ありがとうございました。今回は出版業会の悪口を言いたかったのではなく、変わらないと絶滅してしまうという事実を、まがりなりともグラフィックデザイナーとして関わった経験から述べました。変わるには勇気がいりますが、船が沈んでからでは遅きに失するのではないでしょうか?

 

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ある日突然、契約を切られた

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フリーランスだから、いつか契約が切れて当然なのだけど、今回は予想を超えて長丁場になり、5回の契約延長、6週間の契約が、最終的に15週間になったので、いつそれが終わるのか全く見えなかった。で、予算がオーバーして、あえなく契約終了。

気持ちを切り替えよう

資料やモックアップ、やりとりした記録などの膨大なデーターを、倉庫に使っている外付けハードディスクに移し、仕事で使っていた、先方とのやり取りのためのウェブクラウドやGitなどのコミニケーションツールからログアウトし、ラップトップを軽くしてやる。

次の日から、それでもいつもと同じ時間に起き、娘を起こし学校に送り、そのあと家族と朝食をとる。それまでは一杯一杯でできなかった家の事や他のプロジェクトに取り掛かる時間ができたことが嬉しい。

達成感のない努力

4ヶ月近く毎日、週末も働いたプロジェクトが、まだ製品が完成してもいないのに、次の日から全く関係のないことになった。プロだから全力を尽くしてプロジェクトに従事するけど、最後まで見届けることができなければ、やはり達成感が得られない。達成感を得るために仕事をしているわけではないのだけれど、それは困難を克服し、前に進む原動力になるもので、終わらないものに取り組まなくてはいけない苦しさや、途中だけ手伝わされている物足りなさと比べると、モチベーションに差が出てくるように思う。

フリーランスなのだから、ドライに考えよう

例えるならそれは自分の子供ではなく、人の子供の世話をするのに似ているかもしれない。代理店の仕事はそもそも請負の仕事で、依頼人の広告やプロダクトを作る手伝いをすることだが、代理店の社員の頃は、それでも自分に任されたプロジェクトを自分の子供のように考え、世話をしていた。フリーランスではもっとドライにとらえなくてはならない。

 実を取るか、花を取るか

どちらも取れれば最高なのだけど笑、代理店からの依頼は支払いがよくて魅力的なので、そこで割り切って、達成感のあるプロジェクトを自分なりに見つければいいのだと思う。

 

ここまで読み進めていただいて、ありがとうございました。皆さんもきっと、日々の仕事の中でいろんな妥協点や、折り合いをつけていることと思います。それは仕事に限らず、人生にも言えることなのかもしれません。いちいちヘコンで入られません、上を向いて歩こう。 

 

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