人と自分を比較しないことで、幸福に気付く
こんにちは、北ドイツのハンブルグで、アートディレクターをしています、コイです。今日はタイトルの、「人と自分を比較しないことで、幸福に気付く」ということについて、個人主義や民主主義の歴史の長い、また移民も多いドイツに長く住む、私の個人的な視点からのお話をしたいと思います。
優越感と劣等感
例えば同年代、同業者なんかだと、ついつい自分と比べちゃって、優越感に浸ったり、劣等感に苛まされたりすることって、あると思います。でも、人と自分を比べたり、ランクをつけたりしない事で得られる自由って、とても尊いと思います。
外国人って自由
私はドイツに住んでいるのでここでは外人で、それは実はとても楽しい立場でもあります。まず、存在自体がドイツ人からすると異端なので、多少ヘンでも許されるきらいがあるし、姿から年齢も不詳です。また、比べる土壌が違うので、他の人のことはあまり気になりません。
自分なりの幸せ
ドイツは基本的に個人主義で、外国人もとても多い多様な社会だから、同調圧力が比較的小さく、平たく言うと他の人をあまり気にしません。貧しくても教養がある人が少くないし、お金持ちでも普通に暮らし、ゲイやその他のマイノリティーにも寛容で、それぞれ個々人が自分のレベルにあった幸せを楽しむチャンスがあります。
自分が幸せなら人を羨む必要がなくなる
ドイツに限った話ではありませんが、自分が幸せなら人を羨む必要がなくなり、それこそが豊かな暮らし、人が自由になり、そして幸福に近ずける道に思えます。人と比較せず自分のしたいことをすることから生まれるダイナミズムは、自分の個としてのポテンシャルを引き延ばすエネルギーになり、個の生きがいになりそれが幸福に、そしてそれは社会にプラスになる形で、還元されるのではないでしょうか。
個性がもたらすもの
人間を含む社会性のある動物は、大なり小なり同調圧力が働く社会に生きています。そうしないと社会が成り立たないからです。でも社会が成熟してくると、個性が出てきます。それらを受け入れる事で、社会の枠組みを維持しながらも全体がさらに高みに上がり、厚みが増し、引いては全体の利益になる、これは民主主義の歴史が証明しています。そしてこれからの民主主義は、次の段階に移行する時期に差し掛かっていると思いますが、今回のお話とズレるので、また次回にでも。
まとめ
ここまで読み進めてもらって、ありがとうございます。他人と自分を比較して一喜一憂しないことにより発見できる、個人の幸福についての考察でした。
人の失敗、不倫や薬物関与、盗作疑惑などをなんの法的根拠もなく正義ヅラしてそれでいて匿名で叩いている暇があったら、そのエネルギーを自分と社会の幸福に向けましょう。その方が建設的です。